映画レビュー【存在のない子供たち】
「スラム街でもがく明日」
自分の存在を証明できるものがなかったら?
生きることを止めない少年と中東のリアルに心を打たれた。
先日、『存在のない子供たち』という映画を観た。今までの映画人生の中で、これほどまで絶望的で悲しく、印象に残った映画はなかなか無い。
<映画概要>
原題:Capharnaum(フランス語で修羅場・混沌の意)
製作国:レバノン・フランス(2018年)
上映時間:125分
監督:ナディーン・ラバキー
日本公開日:2019年7月20日
<あらすじ>
わずか12歳で、裁判を起こしたゼイン。訴えた相手は、自分の両親だ。裁判長から、「何の罪で?」と聞かれたゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。中東の貧民窟に生まれたゼインは、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない。学校へ通うこともなく、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に劣悪な労働を強いられていた。唯一の支えだった大切な妹が11歳で強制結婚させられ、怒りと悲しみから家を飛び出したゼインを待っていたのは、さらに過酷な“現実”だった。果たしてゼインの未来は―。
(存在のない子供たち公式サイトより http://sonzai-movie.jp/about.php)
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<感想>
自分の存在を証明できるものがなかったら?冒頭に書いたことは決して遠い惑星で起きていることでもこの映画の中だけの話でもない。この地球で、いま現実に起きていることなのだ。自分がそんな境遇に生まれたらと想像してみる。それは死を意味すると言っても過言ではないのかもしれない。
学校にも通えず、当然仕事を得ることもできない。それどころか家も衣服も、食べ物も手に入れることができない。関わる人のコミュニティも限りなく小さくなるだろう。「自分の存在を証明できない。」文字にすればこんなにシンプルなのに、ただそれだけで真っ当な手段でお金を稼ぐこと、生きることがとてつもなく困難になるのだ。自分がこの世に生きていること、自分の足で立っていることは誰よりも自分が分かっていて、相手の目にも自分が見えているはずなのに、「証明」をすることが出来ない。どれだけ歯痒いことだろう。
本作の絶賛すべき点は枚挙に暇がないが、特筆すべきはその「リアリティー」だ。舞台はレバノンの首都、ベイルート。そのベイルートで暮らす貧困に苦しむ少年とその家族を描いたフィクションであるが、まるでドキュメンタリーを見ているかと錯覚するような現実味を帯びた仕上がりとなっている。それもそのはず、キャストのほとんどがこの映画で描かれているようなことに限りなく近い、過酷な生活を経験した者たちであるのだ。ある者はまともな教育が受けられず10歳の頃から家計を支えるために働きに出たり、またある者は不法滞在で拘束・逮捕されたり、ケガの治療費が払えずに自殺未遂した者までいる。物心がつく前に両親と離れ離れになってしまった子供も。現地でキャスティングされた演技経験ゼロの彼らがこの映画の根幹を担っているのは言うまでもない。
また、この圧倒的なリアリティーを更に加速させる「見せ方」も素晴らしいと感じた。
お涙頂戴のクサい演出も、これが中東だ!みたいな暑苦しいプロパガンダ的な要素も、観客に何らかの救済行為を懇願するような説教じみたメッセージもない。時にはある程度のエモーショナルさを孕みつつも、ただひたすらにリアルを描写することに徹底していたと思う。
この計算された見せ方により、我々観客は映画内では語られない様々な心情を想像し、自然と涙してしまう。説明しすぎないことで、見えない文脈を観客に読ませるのが非常に上手かった。
さらに、「両親を訴える」という普通ではありえない設定(特に戸籍がない子供にとっては)を挿入したにも関わらず、逆説的にリアリティーさが増幅されているのだから、不思議だ。
先述の通り、演技経験が全くないキャスト達の演技がとても素晴らしかった。
特に心打たれたのは、主人公であるゼインの目付きと彼のキャラクター性だ。どうしようもない社会や世界に絶望し、人生を諦めたかのような目。そんな12、3歳の少年にしては冷め過ぎている、光を失った目の中にも、ほんの僅かな希望を必死に模索する光が見えた瞬間が何度かあり、現存する日本語ではとても褒めきることができない。
また、主人公のゼインは年齢よりも遥かに精神的に大人で、学校では学ぶことが出来ない様々なことを知っていた。ろくに働くこともしない(できない?)両親の代わりに、表情1つ変えることなく黙々と働き、時には犯罪の片棒を担ぎながらも家計を支えるゼイン。「普通」の12歳のように、誰かに甘えることもなく、感情を爆発させることもほとんどない。
見た目は痩せ細り、まるで7~8歳児のようだが、精神的に大人でこの世界を達観しているかのような彼のキャラクターはとても興味深く、目を見張るものがあった。
このように本作の良い点は数えきれないが、子供目線で撮影された低いアングルからの映像の多用やドローンによるベイルートの街の空撮、裁判のシーンとその裁判の発端となる過去の映像がフラッシュバックされる構図も印象的であった。
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<好きなシーン>※ネタバレあり
・ゴキブリマンのシーン
家を飛び出したゼインがバスで、スパイダーマンのようなコスチュームを着た老人に出会うシーン。ゼインが何度か発した「スパイダーマン」が印象的。ゼインもその存在を知っているということから、彼と我々が同じ世界に生きていると実感できる。
・「手を地面に置くな。手が汚れるだろ。」のシーン
ゼインは、血が繋がっていない赤ん坊のヨナスの世話を1人でしなければならない状況に追い込まれてしまう。そんな彼が市場でヨナスに放った言葉。2人とも、戸籍もなくて誰にも見向きもされないのに、人間としての尊厳を必死で保とうとしている姿に感動した。服もボロボロで何日も身体を洗えていないはずなのに。
・ヨナスを置き去りにしようとするシーン
ヨナスの世話を焼いていたゼインにも限界が訪れ、ヨナスを人通りの多い道で置き去りにしようとするシーン。セリフはほとんどないが、「もう面倒を見切れない、自分で精一杯だ」という心情と「無垢な赤ん坊を見捨てていいのか」というゼインの葛藤が痛いほど伝わってくる。ヨナスにお菓子をあげて立ち去るも遠くから見守ってしまい、またヨナスのもとに戻る。ヨナスの足に鎖をつけて立ち去り、また振り返る。ヨナスはゼインの後を無邪気に追おうとする。
結局ヨナスを連れて帰るのだが、このシーンは胸が張り裂けそうになった。人通りが多いにも関わらず、通行人は誰もこの2人に気に留めることなく足早に通過していくだけ。まさに「存在のない子供たち」と言わんばかりに。
・ヨナスを売るシーン
限界に達したゼインが国境を超えるために必要なお金を得るべく、悪徳業者のアスプロ(もちろんゼインは怪しみながらもそうするしかなかったのだろう)にヨナスを引き渡すシーン。ゼインと血が繋がっているわけでもない赤ん坊ヨナスとの別れのシーンは忘れられない。
彼は両親からの愛情を全くと言っていいほど受け取っておらず、親心のような誰かを想うという気持ちに触れることがほとんどなかった。(ゼインが妹のサハルを大切に想うシーンは序盤にある)だが、どんなに過酷で絶望的な状況の中でも、彼には誰かを大切に想う気持ちや、その対象との別れを拒む気持ちが誰よりもあった。このシーンだけで、ゼインのどこまでも深い優しさや強い正義感、そして彼が何を考えているのか痛いほど伝わってきた。
・ナイフでアサドを刺しに行くシーン
出生証明書もしくは身分証明書を取るために家に戻ったゼイン。両親は久しぶりに顔を出したゼインの身を案ずることもなく、そんなものはないと言い放ち、口論になる。その際、ゼインの最愛の妹のサハル(わずか11歳でアサドという男の元に嫁に出された)が死んでしまったことを知る。彼女の死因は出産による多量出血。彼女もまた、戸籍がなく医師に診てもらうことが出来なかったため、玄関で命を引き取ったのだった。その事実を知るや否や、ゼインはナイフを手に取り家を飛び出していった。
このシーンで印象的だったのは、サハルが嫁に出される時以外、ほとんど感情を露わにすることがなかったゼインの感情が爆発したことだ。最愛の妹を失い、彼の内に秘めた怒りや力強さが噴出した描写に胸が苦しくなった。その怒りの矛先はアサドだけではなく、絶望的で救いようがない社会やそんな社会に生まれてしまった彼自身にも向けられているように感じた。
さらに、このシーンの映像は、スローモーションと画面全体にピントが合ってないような表現が採用されており、非常にエモーショナルでもあった。彼がアサドを刺す描写がなかったのも引き算の美学と言えるだろう。
・テレビの生放送のシーン
傷害罪となったゼインが、刑務所からテレビ番組の生放送で社会に訴えかけるシーン。
そんな彼の訴えは・・・。
「大人たちに聞いてほしい。世話が出来ないなら生むな。僕の思い出はホースやベルトで叩かれたことや、けなされたことだけ。一番優しい言葉は”出ていけ、クソガキ”。本当にひどい暮らしだ。何の価値もない。僕は地獄で生きているんだ。最低の人生だ。僕も皆に好かれて、尊敬されるような立派な人になりたかった。」
12歳で人生を悟り、全てを諦めなければいけないなんて。12歳の子供にこんな事を言わせてしまう社会は、どの時代でもどの国家でもあってはならない。個人的には、ラバキー監督が本作を通して一番伝えたかったことを、このシーンに投影したのではないかと考えている。
・証明写真の笑顔のシーン(ラストカット)
序盤から終盤まで一貫して無表情だったゼインが、身分証明書用の写真を撮られる際に初めて見せた笑顔のシーン。写真撮影用の作り笑いではあったが、それがまた良かった。まるで長年「笑う」ということを忘れていたかのようなぎこちなさや、12歳の少年らしい照れ、無邪気な目の光が感じられて、涙が止まらなかった。このラストカットも監督は撮りたかったのだろう。あと3秒ほどこのカットがあったら嗚咽してしまいそうだったので、早くエンドロールに入れって思ってた。
書ききれないことが山ほどあるけど、とりあえずここまで。今年公開の映画で1、2位を争う出来でした。邦題も素晴らしい。
<予告編>
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<関連作品>
この映画を観て想起したもの。オススメ順。内容は本作と直接関係がないものもあるけれど、どれも貧困やスラム街をテーマにした映画です。
・『誰も知らない』(日本、2004)
・『シティ・オブ・ゴッド』(ブラジル、2002)
・『黙して契れ』(ベネズエラ、2010)
・『BIUTIFUL』(スペイン・メキシコ、2010)
・トラッシュ!この街が輝く日まで(イギリス・ブラジル、2014)
・万引き家族(日本、2018)
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本作を観る時は、出来れば1人で、翌日に予定がない夜に部屋を真っ暗にして見てほしいと思う。そして「存在のない子供たち」という言葉を頭の片隅に置きながら。
この映画を劇場で観れて本当に良かった。
DVD出たら絶対に買います。