映画レビュー【あのこは貴族】
東京という異質な都市で暮らすこと、生きていくことが丁寧に描かれていた。
映画『あのこは貴族』をレビュー。
<作品情報>
製作年:2021年
監督:岨手由貴子
上映時間:124分
製作国:日本
<あらすじ>
-同じ空の下、私たちは違う階層(セカイ)を生きている-
東京に⽣まれ、箱⼊り娘として何不⾃由なく成⻑し、「結婚=幸せ」と信じて疑わない華⼦。20代後半になり、結婚を考えていた恋⼈に振られ、初めて⼈⽣の岐路に⽴たされる。あらゆる⼿⽴てを使い、お相⼿探しに奔⾛した結果、ハンサムで良家の⽣まれである弁護⼠・幸⼀郎と出会う。幸⼀郎との結婚が決まり、順⾵満帆に思えたのだが…。⼀⽅、東京で働く美紀は富⼭⽣まれ。猛勉強の末に名⾨⼤学に⼊学し上京したが、学費が続かず、夜の世界で働くも中退。仕事にやりがいを感じているわけでもなく、都会にしがみつく意味を⾒いだせずにいた。幸⼀郎との⼤学の同期⽣であったことから、同じ東京で暮らしながら、別世界に⽣きる華⼦と出会うことになる。 ⼆⼈の⼈⽣が交錯した時、それぞれに思いもよらない世界が拓けていく―。
<感想>*ネタバレあり
この映画はドラスティックな何かが起きたり、映画的な展開があるわけでもない。
それでも確実に淡々と現実を突き付け、心の奥底を抉り、最後には一縷の希望をくれた。
印象的だったシーン
①後半、華子が美紀の家を訪れたシーンでのやり取り
華子「美紀さんが羨ましい」
美紀「なんで?」
華子「だってここにあるもの、全部美紀さんのものだから」
確かに、美紀の家にあるものは、美紀が自分の力で、自分で稼いだお金で手に入れてきたものだ。華子の家にあるものと明らかに見劣りするものの、美紀の家にあるものは、彼女自身の努力と苦労の形跡、そして短くはあるが彼女が歩んできた歴史が確かに滲む。一方、華子は生まれたその時から全てが家にあり、自分の意思を介することなく、買い与えられてきたものだ。
一見、嫌みもとれるやり取りだが、華子の生い立ちが十分に描かれた上での、このセリフは華子が、苦労はあるが、自分の意志で人生を歩んできた美紀を心底羨ましいと思っていることが伝わってきた。
②華子が美紀の家を訪れたシーンでのベランダでのやり取り
細かい文言は覚えていないが、美紀が華子に放った以下の言葉。
「どんな階層の人だって、どんな場所に生まれたって、最高っていう日もあれば、泣きたくなる日もあるよ。今日あったこと、喜怒哀楽を全部話せる(理解してくれる)人が一人でもいればそれで十分じゃない?」
東京のごく普通なアパートのベランダで東京タワーに見下ろされながら、安いアイスキャンディーを食べながらのこのシーンは白眉だった。
地方から東京に出てきて、色んな世界を見てきた美紀のこの言葉には重みがあるだけでなく、彼女自身に言い聞かせているような気もした。私自身もハッとさせられたし、この言葉で華子が奮起するのも良かった。
最後になるが、この映画が特に素晴らしかったのは、"階層"が上の人々を決して悪く描いていないことだ。彼らにも下の"階層"の人々と一見異なるようで実は同じベクトルの苦悩があることが丁寧に描かれていた。
また、出自や家柄、経済力といったそれぞれの"階層"ごとにある、当たり前や慣習、考え方が誤解のないように、かつ誇張し過ぎず描かれていた。
具体的には、地方で生まれそのまま地方で暮らしていく人は、親の人生をトレースするだけ、とあったが、実は東京のいい家柄に生まれ、そのまま東京で暮らしていく人も同じなのだ。家柄やビジネス利害関係、世間体といった否定量的なものを維持・存続するために、親の、家系の人生をトレースするように育てられ、仕向けられているのだ。あるいは、女だから、男だからというだけで、人生の方向性を示されているのだ。
個人的には、出自や、経済力、家柄といった階層の違いに気づいてしまうことはとても残酷なことだが、その違いを知らないまま、また共通項を知らないまま生きていくことは一見、幸せなようでもっと残酷なことなのかなと感じた。
そういえば、この前、丸の内にある某超高級ホテルのフレンチに行きましたが、この映画がフラッシュバックしました。優雅なマダム軍団、若い女性を連れた起業家風の人、着物を着たいかにも家柄が良さそうな家族・・・。この映画に出てきそうな階層の人々ばかりで食事どころじゃなかったんだけど、彼らにも我々と同じような苦労があるんだろうな。いい社会勉強になりました。