映画レビュー【花束みたいな恋をした】
映画において、多くの人に共通する感情を丁寧に描くことは、良い映画の重要なファクターの1つだと思う。
久々に新作邦画を観たので、感想をレビュー。
<作品情報>
公開日:2021年1月29日
監督:土井裕康
上映時間:124分
製作国:日本
<あらすじ>
京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った大学生の山音麦と、八谷絹。
好きな音楽や映画がほとんど同じで、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら、同棲を始める。拾った猫に二人で名前を付けて、渋谷パルコが閉店してもスマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが・・・
<感想>*ネタバレあり
冒頭にも書いたけど、多くの人の心に響く映画であることの重要な要素の一つに、
"原体験の再現/一般化による共感性の構築"が挙げられると思う。(もちろん、自分にはない感情や視点、体験を味わえるのも映画の魅力ではあるが)
この映画を観た20代の若者の多くは、「僕の、私のための映画に出会えた」と感じるのではないか。
なぜなら、この映画の主題の1つに、"始まりは終わりの始まりである"="『恋愛』特有の刹那性"がある。この感覚は程度の違いはあるものの、多くの人が体験、もしくは理解していることだからだ。
加えて、無数の固有名詞や細かな描写、会話の普遍性が共感性の構築を加速させる。
終電を逃し、仕方なく朝まで居酒屋でダラダラと過ごすこと、深夜に缶ビールを飲みながら数駅分時間をかけて歩いて帰宅すること、呼ばれた飲み会に行ったら初見の人がいること、共通の趣味の話題で盛り上がる時間。
付き合うまでの"あの"感覚、付き合い始めの"あの"感覚、徐々に恋人の存在に慣れていく"あの"感覚。就職等の環境の変化を機に、恋人との関係性がいつの間にか変化してしまうこと、そしていつの間にかすれ違ってしまった/壊れてしまった関係の修復は難しいと気付いた時の虚しさ。
枚挙に暇がないほど、この映画で描かれるほとんどの事象は、何かしら思い当たることがあり、自分の姿や思い出を重ねてしまうと思った。
個人的には、出会いの感じとか、付き合い始めの大学をサボる感じとか、ケンカのシーンとか思い当たる節がありすぎて、監視されてるんじゃないかと怖くなりました。(笑)
また、映画を観た方なら分かるかと思いますが、
麦は理想(就職前)⇒現実(就職後)と価値観が変化していくのに対し、絹は現実(就職前)⇒理想(就職後)と価値観が変化していくことが印象的でした。
圧迫面接について話す件なんて、思わず声が出そうになりました。。。
同じものを見ていても、同じ時間を過ごしていても、実は2人が見ていたもの、感じていたものは決定的に違っていたんでしょうね。そしてそのアンビバレンスは、環境の変化によって徐々に表面化してきたのだと考えています。
多くの人が既に言及してますが、このアンビバレントさを最も良く表しているのが、度々登場するイヤフォン。
同じ音楽を聴いていても、LとRから流れる音が微妙に違うように、同じものを見ていても2人が見ていたものは別のものでした。そして、かつては2人を結んでくれた象徴であったイヤフォンが、映画が進むにつれて、2人の関係性の断絶の象徴になっていくことも非常に印象的でした。
ドラスティックな何かが起きたり、恋愛映画によくある障害を乗り越えて~みたいな要素は皆無で、普遍的な感情の奥深さやグラデーション、価値観のすれ違いをひたすら丁寧に描いていて非常に好感がもてました。
この映画を”共感した”とか”エモい"とか、"切ない"とか一言で片づけるには勿体なさすぎます。
この映画を観た後、妻と「ほとんど見たことある(体験したことある)よね~、あの時とかさー!」なんて話をして、余韻に浸りながらダラダラ帰路につきました。
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